丸山 樹山

じんぶつ名(ヨミ)まるやま じゅざん
生年月日(西暦)1843
生年月日(和暦)天保14年
没年月日(西暦)1922
没年月日(和暦)大正11年

略歴・解説

酒造業の父の二男、曹洞宗に入信するが仏教界に不満をもち、長岡の長興寺住職大道長安が説く新仏教「救世教」を信奉、長安と共に全国で布教をする。明治22年樹山は柏崎に戻り男女同権を説く『宝蔵録』を書いた。明治23年柏崎女子裁縫練習場設立趣意書を配布し、翌年比角村四谷の救世会館に裁縫練習場を創設する。7年後柏崎の大火のため類焼。同33年知事認可を得て、比角村古見野に柏崎裁縫女学校を設立。裁縫を主に読み書き・珠算・修身を教える。大正10年77歳で創立30周年を迎え、町から表彰される。翌年他界。遺志は妻貞、娘セツ・中夫婦に後継され、古見野実科女学校、柏崎高等実践女学校へと発展したが、時流に抗しきれず、昭和63年苦節97年間の学校経営に幕を閉じる。

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