内藤 久寛

資料名よみないとう ひさひろ
分類(ぶんるい)人物
人物(じんぶつ)広瀬 貞五郎/二宮 伝右衛門
校区(こうく)二田小学校
解説(かいせつ)石地の大地主の二男。苦学し、横浜の高島学校・新潟の英語学校に学ぶ。明治21年財界人である山口権三郎らを集め、石地に日本石油会社を創立する。当時尼瀬油田の鉱脈は海底にもおよぶと確信。米国より鋼索式掘削機械を輸入し、明治24年初の機械掘りに成功する。明治30年以降は西山油田が盛況。内藤社長は衆議院議員になるも、欧米などを視察し、富力の点で天地の差を痛感。優勝劣敗の原理を悟り、仕事に専念する。同32年柏崎駅西側に本社・製油所を移転。大正10年63歳の時に宝田石油株式会社と合併し、大正15年退職までの38年間、内藤は日本石油会社の初代社長であり石油王でもあった。自叙伝に『春風秋雨録』を残している。

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