『30』の画像

courtesy: Galerie Georges-Philippe & Nathalie Vallois, Paris, and Take Ninagawa, Tokyo, Exhibition view of Taro Izumi, “Pan,” Palais de Tokyo, 2017 supported by SAM Art Projects. photo: Aurelien Mole

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30

作家名(日)泉太郎
作家名(英)IZUMI Taro
制作年2017
素材・技法映像2点
サイズサイズ可変
著作権表示© IZUMI Taro
収蔵年2018(作品購入年月日:2018/03/19)
受入方法購入
解説1976年奈良県(日本)生まれ。

映像メディアを介した触覚や違和感を手掛かりに、多くの問いかけが重なり合う作品を展開している。多様な興味と独特のユーモア、批評性に根差した活動は、 自由と不自由、個人と社会システムの間に起こる摩擦を体現している。様々なもの同士のやり取りを作品化し、複雑で長大な不可知へのプロセスに向き合い続けるための構想に取り組んでいる。

《30》は、遠く離れたひとりの少年と、飼い犬を連れた大勢の大人が狼の遠吠えを模して呼びかけ合う。鑑賞者と共に空間を行き来する遠吠えは、見えるもの以外の存在を示唆する。人間が動物の伝達方法を真似て呼びかけ合う奇妙な行為で意思疎通を成り立たせる要素について分析している。《古い名前、先客》では、 意地悪を 意味するスラング、「somean」を象った鉄の容器の中でウナギが様々に過ごしている。映像に近付くと生々しいウナギの存在が強調され、離れると文字の意味を読み取る意識が強まるだろう。《頬爪楊枝 /葡萄の刑》は、まるで存在していないかのように設計されている美術館の柱にズボンと靴を履かせ、「脚」 として顕在化させる。館内備え付けのモニターでは、 機能から解放されて浮遊していく脚の映像が映され、 支えられるべきものの実在までもが揺らぐような錯 覚を覚える。《くすぐられる夢を見た気がする》は、スポーツ選手の一瞬を捉えたグラビアと、選手の身体と同じ態勢になるよう作られた彫刻の上でじっと過ごす人の様子を撮影した映像が並置され、空席の彫刻が置かれている。彫刻は、生身の人間のために設計された家具を、画像化された人間(選手のグラビア)に沿うよう家具職人と共に改造したもの。メディアに封じられた身体を生身の身体に戻そうとするプロセスを通して、人間を形作っている見えざる環境の輪郭を探っている。

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