吉田家文書

収蔵施設名陸前高田市立博物館 (岩手県立博物館)
公開解説吉田家は元和6年(1620)に仙台藩気仙郡上有住村より今泉村に移住したと伝えられています。当家伝来の「伊達政宗黒印状」(元和6年極月3日)や「気仙郡今泉村風土記御用書出」(安永6年、1777)によると、元和6年、吉田宇右衛門(筑後)が藩祖政宗によって気仙郡の大肝入に任命されてます。
 こうして吉田家が気仙郡大肝入に就任することになりますが、特に明暦2年(1656)~延宝3年(1675)[矢作久右衛門]と元禄7年(1694)~宝永2年(1705)[松坂十兵衛]の両期間を除き、宝永2年以降は明治2年(1869)に至るまで連綿としてその職を世襲してきました。まさに気仙地方きっての名家であり、現在は「大庄屋」(明治3年8月改称)と愛称されています。
 大肝入を世襲して来た吉田家には、寛延3年(1750)から明治元年(1868)までの118年間分(このうち寛政11年、文化12年、天保元年の3カ年分を欠く)、合計95冊の「定留」がまとまって残っており、東山南方大肝入の白石家文書と共に双璧をなしています。しかも、このような伝存形態は全国的にみても稀です。

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