菊花双雀文鏡

資料名(ヨミ)キクカソウジャクモンキョウ
遺跡荒久遺跡C地点
時代・時期鎌倉時代
解説 中世前期の青銅鏡、和鏡(わきょう)です。直径98.3mm、厚さ1.2mm、縁の高さが4.3mmで、重さは84.5gです。荒久(あらく)遺跡C地点の土坑墓(どこうぼ)の副葬品として、水晶製の数珠とともに見つかりました。鏡背文様は鳥が菊花の間を遊ぶデザインです。
 和鏡が墓に副葬される事例は、8世紀末から9世紀には都を中心に分布しますが、11世紀になって列島各地で確認されるようになり、千葉県内では13世紀ごろの事例が少し認められます。
 この和鏡は、類似する資料から12世紀末から13世紀初頭に製作されたと見られ、県内の出土傾向に合致する資料と言えます。この頃は、荒廃した上総国分僧寺が源頼朝によって復興される時期に重なるため、隣接する荒久遺跡に埋葬された人物も、こうした背景に関係するのかもしれません。和鏡を副葬するという行為は、有力者の家族や尼僧など、ごく限られた階層によってもたらされた、都的な風習のひとつだったのでしょう。

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