川崎千虎原画 明七橋刷物

資料ID875
資料名(ふりがな)かわさきちとら めいしちばしすりもの
分野歴史
年代明治7年(1984)11月
解説文又は共通解説文明治初期、川を渡る主要な交通手段は船でしたが、明治7年(1884)11月、岐阜町・長良村間の長良川に橋が架けられました。南半分は木橋で、北側は船を鎖でつないでその上に板を渡した船橋になっていました。この橋は架橋された年から「明七橋」と呼ばれました。 本品は、この明七橋が架けられた時に描かれたもので、尾張出身の画家・川崎千虎(川崎小虎の祖父)の手によるのです。明七橋を描いたものの多くは、北側から南方面である岐阜町を望んだものですが、本品は逆に南側から北の方を描いており珍し構図になっています。

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