楠正成知早城普請之図

資料ID228145
分野美術工芸
分野補絵画
区分実物
作者歌川芳藤
年代江戸時代 万延元年(1860)
材質大判錦絵三枚続
寸法(図録用)〈右〉縦36.9cm 横25.6cm 〈中〉縦36.8cm 横25.6cm 〈左〉縦36.8cm 横25.6cm
数量(単位)1口
解説文又は共通解説文本図は錦絵。外題(タイトル)の意味は、楠木正成が千早城を築いている図。しかし、実は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)(画面中央下)が清洲城修理の様子を織田信長に披露している図。織豊政権以後の武家に関する事柄を芝居や絵にすることは、江戸幕府によって禁止されていました。そこで、人名を変えたり、より古い時代のことに見立てたりして、芝居や絵を制作していました。そこで、本図では楠木正成の築城に仮託して絵を描いています。『絵本太閤記』は清州城割普請の話を語ります。信長の居城、清州城では石垣の修理が遅れていました。藤吉郎は3日で完成させると信長に約束。石垣1坪当たりの修理に必要な職人の人数を計算し、職人たちに酒肴を与えて、信長への忠節を説きます。次の日から職人体は作業に励み、3日目に完成しました。

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