歌川国芳 大多春永城塀修復の図

資料ID228046
分野美術工芸
分野補絵画
区分実物
作者歌川国芳
年代嘉永2年(1849)
材質大判錦絵三枚続
寸法(図録用)〈右〉縦36.7cm 横24.8cm 〈中〉36.7cm 横25.0cm 〈左〉36.7cm 横24.9cm
数量(単位)3枚続
解説文又は共通解説文本図は錦絵。大多春永(おおたはるなが)は織田信長のこと。中浦猿吉郎は尾張国愛知郡中村(名古屋市)出身の木下藤吉郎 (豊臣秀吉)のこと。遅れていた清洲城の石垣修理を三日で完成させると、猿吉郎は春永に約束します。そして、三日目に完成しました。猿吉郎がその様子を春永に披露する場面を、本図は描きます。織豊政権以後の武家に関する事柄を芝居や絵にすることは、江戸幕府によって禁止されていました。そこで、人名を変えたり、より古い時代のことに見立てたりして、芝居や絵を制作していました。

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