百万塔

資料ID1408
分野歴史
年代奈良時代
解説文又は共通解説文称徳天皇は、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱後、鎮護国家・滅罪のため、十大寺にそれぞれ十万基、あわせて百万基の木製小塔を分置しました。轆轤挽きの塔身部と相輪からなり、本来百万塔陀羅尼とよばれる経文(世界最古の印刷物)を塔中に収めていました。今回の資料はその中の一基です。この資料の場合、経文はなく相輪は後補ですが、塔身部には顔料(胡粉)が一部残っています。
「あおによし」とたたえられた平城京ですが、その歴史は激しい権力闘争の繰り返しでもありました。百万塔は、こうした争いの犠牲者への鎮魂の象徴としてとらえることができ、奈良時代の歴史が一層興味深く感じられます。

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