「死亡告知書」(陸軍上等兵、清水昇)
受入番号 | K1600369 |
---|---|
資料シリーズ名 | 清水昇関係資料 |
始年月日(西暦) | 1946/9/16 |
始年月日(和暦) | 昭和21年9月16日 |
時期 | S中 |
法量(縦)(mm) | 256.00 |
法量(横)(mm) | 181.00 |
数量 | 1通 |
備考 | 清水昇経歴 大正7年11月27日、芝区白金今里町四四番地出生 大正14年4月、赤坂小学校入学 大正15年9月、泰明小学校 昭和3年、松沢小学校 昭和6年、松沢小学校卒 昭和6年4月、府立六中入学 昭和11年3月、府立六中卒業 昭和12年4月、慶応法学部予科入学 昭和15年3月、慶応法学部予科卒業 昭和15年4月、慶応法学部法律科入学 昭和17年9月、慶応法学部法律科卒業 昭和17年10月、三興株式会社大建産業本社営業入社 昭和17年11月、東部第二部隊(近衛歩兵二連隊)応召 昭和18年3月、ビルマ派遣林第3850部隊 昭和19年8月28日、戦死 |
資料形態 | 現物 |
原形態 | 単票 |
版面 | 無地 |
紙質 | 洋紙 |
記入 | ペン |
「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト趣意書
戦後70年を迎えようとしています。
先の大戦では、慶應義塾関係者から2200人を超す戦没者が出ました。そして全国最大の空襲被害をこうむった大学ともなりました。
この時代の慶應義塾を見つめることは、単に一大学の歴史を回顧するというに留まらず、日本で最も古い歴史を誇る私立大学としての慶應義塾を通して、日本が戦争とどのように向き合ったかを問い直す、重要な試みとなります。しかし慶應義塾においては、この昭和の戦争の時代が必ずしも十分議論されてきたとはいえません。
この戦争の時代の評価については、様々な立場が存在し、難しい問題であることはいうまでもありません。しかし多様な議論が、事実に即して健全に、活発になされていくためには、慶應義塾においても、十分に基礎資料を収集、検討しておく必要があると考えます。
終戦時に20歳だった方が90歳を迎えつつある今を逃せば、永久にその機会は失われるとの危機感から発足したこのプロジェクトでは、戦後70年を迎える2015年を目処に、下記のことに取り組みます。
- 義塾や塾生・塾員関連のオリジナル資料を収集し、後世に伝えることに資する
- 当事者の聞き取りや回想記を収集し、研究に活用できるようにする
- 戦時期の慶應義塾の人・組織の動きを知るための基礎的なデータを整備する
- 上記の資料やデータを、展覧会やインターネットで積極的に公開する
ここに、広く慶應義塾関係者や、関心をお寄せ下さる方々にご理解を乞い、趣旨に御賛同くださる方々のご協力をお願い申し上げます。
平成25(2013)年8月
慶應義塾福沢研究センター
「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト
http://project.fmc.keio.ac.jp/