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玉川上水の石枡・木樋(麹町三丁目二番地先出土)

大分類【指】指定文化財
名称(ヨミ)タマガワジョウスイノイシマス・モクヒ(コウジマチサンチョウメニバンチサキシュツド)
種別有形文化財
区分考古資料
員数各1点
指定年月日2018/04/01
指定番号千文(有)第78号
所在地石枡:紀尾井町2 清水谷公園 木樋:日比谷公園1-4 日比谷図書文化館
所有者(保持者)千代田区教育委員会
年代江戸時代末~明治時代
内容・伝来内訳:石枡1基、木樋1点
昭和45年(1970)に国道20号線(麹町三丁目2番地先の麹町大通り)の共同溝拡幅工事の際に発見された玉川上水施設の一部である。石枡は江戸時代の宝永年間(1704~1710年)~明治時代、木樋は江戸時代末期~明治時代に設置されたと考えられる。
玉川上水は、神田上水などと並んで大都市・江戸への上水供給の役割を果たした都市インフラで、一部は国指定史跡にも指定されている。羽村で多摩川の水を取水し、四谷大木戸に至る約43kmを開渠で導水したのち、江戸市中へは石樋や木樋による暗渠管路で配水した。四谷大木戸から虎ノ門へ向かっては万年石樋と記される大幹線の樋筋が通っていた。その万年石樋から、江戸城に向かう樋筋である本丸掛と吹上掛が分岐する。日本の樋筋は、本丸掛を北側に麹町通り(甲州街道)の地下を並行して半蔵門に向かうが、本件出土地点で交差して吹上掛が北側となり、半蔵門に至る。本件の木樋と石枡は、その形状から吹上掛と推定できる。
地中深くに埋設された石枡は江戸城へ向けて水位・水量などの水流制御装置の役割を担っていたと推定され、四谷門~半蔵門間でのみ使用された技術と考えられる。本件の石枡は地中約4.7mに4段が積まれた大規模な構造で、他に類例が見られないものである。木樋は今までに千代田区で発見されている木樋と比べ非常に規模が大きい。また通常松が使用されることが多いが、本木樋は高級な檜を使用している。
本件は出土地が明らかで、石枡・木樋がセットで残っている点、また修理記録の乏しい四谷大木戸~半蔵門間の樋筋の規模や普請の実態などをうかがい知れる点において貴重な資料である。

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