内容・伝来 | 簿冊は復興小学校12校(錦華小学校〈お茶の水小学校〉を除く)と、同時期の鉄筋コンクリート造小学校である佐久間小学校を合わせた13校分、37冊である。また図面は、淡路小学校、西神田小学校、小川小学校の3校を建設する際の設計図など78枚である。大正12年(1923)の関東大震災において、千代田区(麹町区・神田区)内では、麹町区で2校、神田区で13校の計15校が焼失した。東京市は大正13年(1924)から昭和5年(1930)に復興費を計上し、帝都復興事業として117校の小学校を耐震・耐火性を備えた鉄筋コンクリート造で建設(復興小学校)。千代田区内では、焼失した15校に加え3校を鉄筋コンクリート造で新築した。神田区が復興小学校建設にどう関わったのかを明らかにすると共に、建設地の周辺住民からの神田区長宛の陳情書などが含まれ、復興小学校の建設と地域との関わりを知る上でも重要である。また、建設当時の最新技術(鉄筋コンクリート造、水洗トイレなど)の導入に関する書類からは業者の選定過程や施工時の工夫を知ることができ、校舎の耐震性や不燃化だけでなく、近代的設備を持つ学習環境の実現を目指した画期的な事業であったことを示す貴重な史料群である。 |
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