下野皆川藩松平家墓所
大分類 | 【指】指定文化財 |
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名称(ヨミ) | シモツケミナカワハンマツダイラケボショ |
種別 | 史跡 |
員数 | 1ヶ所 |
指定年月日 | 2007/04/01 |
指定番号 | 千文(史)第55号 |
所在地 | 麹町6-4-2 心法寺境内 |
所有者(保持者) | 宗教法人心法寺 |
年代 | 寛永5年(1628)~寛文5年(1665) |
内容・伝来 | 下野皆川藩松平家墓所は江戸時代初期の寛永~寛文年間(1624~1673)という古い時期の墓所であり、区内で最古の心法寺は千代田区内で墓域を有する唯一の寺院で、区内の大名家墓所はここだけである。皆川藩主松平氏は「十四松平家」の1つ、能見松平氏の系統で、重則・重正・重利となる。しかし、3代重利で無嗣断絶となり、皆川藩は改易となる。江戸時代後期に刊行された『江戸名所図会』には心法寺境内が示され、本件の墓標群が描かれている。そこから現在と同じ状態で保存されていたことが確認できる。 石を組み合わせ、土砂を充填して形成された基壇の上に墓標群が置かれている。4基の宝篋印塔、1基の笠付方柱形墓標、1基の舟形(有像)墓標から構成されている。基壇の前面に3基の燈籠がある。 |
備考 | 年代: ①宝篋印塔…寛永5年(1628) ②笠付方柱形墓標…寛永5年(1628) ③宝篋印塔…寛永18年(1641) ④舟形(石像)墓標…寛文5年(1665) ⑤宝篋印塔…寛文2年(1662) ⑥宝篋印塔…寛永17年(1640) ⑦基壇…年代不詳 材質:①~⑥安山岩、⑦大谷石 ※通常一般公開は行っていません。 |