常夜燈

大分類【指】指定文化財
名称(ヨミ)ジョウヤトウ
種別有形民俗文化財
員数1基
指定年月日2005/04/01
指定番号千文(有民)第50号
所在地平河町1-7-5 平河天満宮境内
所有者(保持者)宗教法人平河天満宮
年代嘉永5年(1852)閏2月
内容・伝来常夜燈とは、燈火として神社仏閣の伽藍や境内に立てられたもので、本件は平川天満宮境内、鳥居の先に設置されている。本来は左右1対の2基で存在したと考えられるが、完形で現存するのは本殿から見て左側の1基のみで、右側のものは残存している石材を積み上げて作られた状態である。昭和20年(1945)に平川天満宮は空襲で被災し、本殿などほとんどが焼失したため、この際に常夜燈も片側が破損したと思われる。全体は安山岩、火袋部分は花崗岩によるもので、基礎には新しい石材が使用されている。装飾は、火袋の左側面には三日月、右側面には日輪を象る窓がそれぞれ開いている。中台には、祭神の菅原道真の家紋である梅鉢の文様が見られる。この常夜燈は嘉永5年(1852)閏2月に、石工弥兵衛及び留三郎によって制作され、雲龍堂充國の門弟ら関係者によって奉納されたと考えられる。雲龍堂は、麹町八丁目(現在の麹町五丁目)に文政年間に開業した寺子屋である。奉納者として陰刻されている「龍海堂」も、松田町(現在の鍛冶町二丁目)に文化元年(1804)に開業した寺子屋である。嘉永5年(1852)は菅原道真(845-903)の950年遠忌にあたり、平川天満宮では御開帳が行われたと記録されている。同年に本件も百度石などとともに奉納された。
千代田区における江戸時代の信仰の一端がうかがえ、特に区内にあった私塾を介して、平河天満宮と江戸の町の人々との関わりを考える上で、貴重な資料である。
備考寸法:高345.3cm、幅126.2cm、奥行126.2cm
材質:石(全体は安山岩、火袋部は花崗岩)

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