水野年方顕彰碑

大分類【指】指定文化財
名称(ヨミ)ミズノトシカタケンショウヒ
種別有形文化財
区分歴史資料
員数1基
指定年月日2001/04/01
指定番号千文(有)第40号
所在地外神田2-16-2 神田神社境内
所有者(保持者)宗教法人神田神社
年代大正12年(1923)5月
内容・伝来日本画家の水野年方の門人らが、水野年方の偉業をたたえるために建設したもの。神田神社本殿の北側、裏参道の脇に位置し、燈籠型の碑である。火袋の部分には、焼け焦げた跡が見られるため、灯火をともしていた時期があったと推測される。水野年方は神田に生まれ、明治28年(1895)頃まで、彼の画業の前半期を神田東紺屋町で過ごしている。この顕彰碑は、数多くの浮世絵を手がけ、日本画家として大成した水野年方の功績をたたえるために、その門弟らが建立したものである。設置されてから数ヶ月後に関東大震災に見舞われたものの、破損などは見られず、現在まで残っている。江戸時代末期以降の千代田区における絵画史を考える上で、水野年方一門が神田周辺に深く関わりを持っていたことを示す歴史的価値の高い資料である。
備考形状:正六角柱
寸法:高さ378.4cm 正六角柱断面の六角形の一辺40.7cm
銘文:すべて陰刻銘文
【正面上部】水野年方の落款からとった署名及び方印
【正面下部】水野年方の略歴・業績についての碑文
【裏面上部】建立・奉納年代
【裏面下部】建立に関わった門人らの名前
水野年方は、慶応2年(1866)に江戸神田で左官の棟梁の子として生まれた。当初、歌川派の月岡芳年に入門し、浮世絵の歴史画を数多く制作した。明治時代の半ばから、「やまと新聞」をはじめとする新聞挿絵、『文芸倶楽部』などの木版彩色の口絵を盛んに描き、上品で繊細な美人画を得意とした。明治41年(1908)、年方は42歳の若さで逝去。年方の門人からは、鏑木清方を筆頭に、池田輝方や蕉園、荒井寛方ら、近代日本画を代表する画家たちが多く輩出されている。

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