銅製燈籠

大分類【指】指定文化財
名称(ヨミ)ドウセイトウロウ
種別有形文化財
区分工芸品
員数一対
指定年月日2001/04/01
指定番号千文(有)第39号
所在地永田町2-10-5 日枝神社境内
所有者(保持者)宗教法人日枝神社
年代万治2年(1659)4月晦日
内容・伝来日枝神社本殿の前に置かれた銅製燈籠である。装飾は、笠と火袋の部分には巴紋があり、笠の先端の蕨手と中台部分の格狭間には龍が配されている。台座のうち、基礎部分の格狭間には虎の彫刻が見られる。竿部分に銘文が刻まれており、安山岩製の基壇部分に石板が嵌め込まれている。銘文によれば、万治2年(1659)4月晦日に奉納されたもので、渡辺銅意とその子・渡辺政次によって制作された。日枝神社は、明暦3年(1657)に起きた、いわゆる明暦の大火で被災したために、同年6月に麹町元山王(現在の隼町)の社地から現在の場所へ遷座した。翌1658年4月(※7月に万治と改元)から永田町での造営が開始され、一連の法事が執り行われている。この4月晦日の法事に合わせて奉納されたのが、本燈籠である。竿部分に陰刻された「萬治弐己亥祀四月晦日」の日付と、『厳有院御実記』の遷座行事の記録から、本件は徳川将軍家によって奉納された可能性が高いと考えられる。社殿の配置は現状とは異なっており、当初は本殿を取り巻く玉垣の前面に石燈籠6基とともに設置されていたと考えられる。区に現存する燈籠の中でも数少ない江戸時代前期に制作された工芸品であり、区の歴史を考える上でも貴重な資料である。
備考寸法:高257.3cm、直径183.5cm(基壇部分)
形状:八角形
銘文:(左右とも)
【灯籠の竿部分】「金燈籠 両基」「日吉山王大権現 寶前」「萬治弐己亥祀四月晦日」「御佛具師 銅意法橋 同子 渡辺近江大掾 源正次」(すべて陰刻銘文)
【基壇部分】「昭和二十八年十一月吉祥日 一之鳥居復興会」「日枝神社葵会」「再築寄進」という石板がはめ込まれている。
作成者について:渡辺銅意(生没年不詳)は江戸時代前期にかけて作品を遺した鋳物師である。出身は京都と思われ、後に江戸へ移住した。万治元年(1658)には法橋に叙せられている。これは承応2年(1643)に尾張、紀州両徳川家から日光大猷院廟に献上された銅灯台の鋳造を担当したことによるといわれる。
渡辺正次(1646-1704)は銅意の子。当初は江戸で父とともに鋳造を行ったが、万治元年(1658)に近江大掾に叙せられている。延宝7年(1679)に陸奥弘前藩主の津軽家に召抱えとなり、以後は弘前に居住した。

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