紙本着色神田明神祭礼絵巻

大分類【指】指定文化財
名称(ヨミ)シホンチャクショクカンダミョウジンサイレイエマキ
種別有形文化財
区分絵画
員数3巻
指定年月日1994/04/01
指定番号千文(有)第22号
所在地外神田2-16-2 神田神社
所有者(保持者)宗教法人神田神社
年代文久3年(1863)
内容・伝来天・地・人の3巻からなり、3巻とも蓋つきの桐箱に入れられている。
一橋家の邸地内に神田明神の旧地が含まれたことから、両者の密接な関係が生まれ、このことにより、一橋家が幕府の御用絵師である住吉弘貫(1793~1863)に神田明神祭礼の様子を後世に残すため制作を依頼したと考えられる。
千代田区域における江戸時代の人々の生活のいわば最大の盛儀であった神田祭の全貌を視覚的に示しており、幕府御用絵師である住吉弘貫によって鮮やかな彩色と正確な筆致がなされた貴重な資料である。
備考蓋表墨書:「住吉内記広定画 神田明神祭礼絵巻物 三巻」
蓋裏貼紙:「内記廣定弘定また弘貫と称す住吉家中興之名手なり幕府の席次廣定に至り狩野家を凌駕するものあり此明神祭礼の巻最も晩年に至りて一ツ橋家之需めに応し筆を採ること二年有余第三巻の末にいたり彩色を残して遂に病没す誠ニ惜みて余りあり行年七十一 慶応三丁卯之春(「不如拙斎」(朱文方印))
3巻のうち、人巻の9紙目までは鮮やかに彩色が施されているが、10紙目からは色彩が薄くなり、16紙目から最終19紙目までに至っては、焼筆による線描の下書きのみとなる。これは蓋裏の墨書にある通り、中心的作者である住吉弘貫の病没によって作画が中断されたためと考えられる。
文久元年(1861)の神田祭礼を描いたものか。蓋裏の墨書にある慶応3年(1867)は弘貫病没後に本作が巻子本に表装された年代か。

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