面縄貝塚の全容(面縄小学校の周辺)伊仙町教育委員会提供

面縄貝塚

名称(ヨミ)オモナワカイヅカ
中分類集落跡
小分類貝塚前期(縄文)
所在地伊仙町面縄
時代・年代貝塚時代前1期~貝塚時代後2期
遺産概要 面縄貝塚は面縄小学校を含む一帯にある第1~4の四つの貝塚からなり、そこからは、今から約7,000年前から600年前ごろまで連綿と続いた、面縄貝塚人と貝塚の前面に広がる面縄の海との関わり合いが見える。
 特に、今から3,500~3,000年前(縄文時代後期)の時期は、サンゴ礁が発達して海面に至り、防波堤のように波をさえぎるようになった結果、サンゴ礁の内側には、穏やかな海(イノー)が広がる。そこから安定的にとれる貝や魚類などが、面縄貝塚から大量に出土しており、面縄貝塚人の食生活を支えたことがわかっている。さらに、海からとれるシャコガイやオオツタノハ、ヤコウガイといった貝の殻を使った多種類のアクセサリーや、道具が見つかっており、食生活だけでなく、生活のさまざまな場面で面縄の海からとれる資源が活用されている。
 また、面縄貝塚には九州で作られた土器や、開元通寶といった中国のお金も出土しており、面縄の海は面縄と外の世界をつなぐ窓口でもあったと考えられている。
 遺跡の後背にある石灰岩の岩陰や洞穴は生活空間であり、お墓としても使用されていたようで、多くの人骨が出土している。第1貝塚からは、壮年の女性が石棺墓に葬られた状態で発見されている。この女性には、抜歯(意図的に歯を抜くこと)と考えられる痕跡が認められ、徳之島においても、抜歯の習俗があった可能性を示している。
 アースオーブンは、地面を掘って石を並べ、まず石を焼いてから、その比熱でバナナの葉などにつつんだヤム芋やイノシシの肉などの食材を蒸し焼きにする、かまどのような場所である。現代でも、大量の食材を加熱するのには、最も適した調理法といわれている。

協力 伊仙町歴史民俗資料館
文献・資料〈参考文献・資料〉
●埋蔵文化財情報データベースhttp://www.jomon-no-mori.jp/kmai_public/
●伊仙町教育委員会1985『面縄貝塚群』伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書(3)
●伊仙町教育委員会2014『面縄貝塚群Ⅱ』伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書(15)
●伊仙町教育委員会2016『面縄貝塚 総括報告書』伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書(16)

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