三京坊主

遺産概要三京集落の字三京田のテラにある仏像(座像)のことを、集落民は三京坊主(ボウズンガナシ)と呼び、
祀っている。三京坊主の由来について、明治28年に編集された『徳之島事情』に次のようにある。
「西阿木名村字三京ニ一個ノ石像アリ(年号不詳)内地ヨリ一人ノ法師ラシキモノ来航シ来タリ、該地
ニテ死亡シタル処、此レ三京法師ト称志、西阿木名村三京村(今ハ廃村トナリ。)人民ハ毎ニ之ヲ祭リ
毎年盆祭ニハ西阿木名村宮友ニ於之ヲ祭ルモ、其由来ハ詳カラズ。」
三京集落在住の方々の話によると、元々、三京坊主は現在と違う場所に祀られており、現在の場所から
300mほど南側の字前田にあった。それを戦前の岡村武保区長時代に現在の場所に移動したという。
また、三京坊主の首が折れてしまった経緯については、集落の人が牛の手綱を三京坊主の首に掛けて
しまったため折れたと言い伝えられてる。三京集落の年賀式は、テラで行われ、集落民は一年の無病息災
家内安全などを三京坊主にお酒などを供え祈願する。集落の子ども会によって定期的に管理・清掃が行われるなど、三京坊主は集落の人々に敬われ、大切にされている文化財である。

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